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懐かしい音の風景
人類が森林の中で、棲んでいた時間は、人類の誕生から計算して99.996%になると言います。人間が自然と離れて暮らすようになったのは、ほんの数百年のことなのです。森林の中に棲んでいるときに、人間は父母に抱かれているように、安らぎを自然に感ずるように創られています。
幼いころ、田舎に棲んでいた人はだれしも、雨が降ることを単純に濡れるから嫌だとは思わなかったのではないでしょうか?小学校の帰り道、水溜りで遊びながら、帰ってきた記憶は、壮年以上の方なら誰しも持っていらっしゃる懐かしい思い出ではないかと思います。しかし、最近は合理的に成り過ぎて、子供も大人も雨が降ると、うっとうしいと思う方の方が、増えているようにおもいます。雨を通して、懐かしい音の風景が無くなっているひとつの例をあげてみたいと思います。
皆さんも幼いころ、雨が降ると何時間も家の縁側に座って雨が降るのをずっと飽きずに見ていたことはないでしょうか?高いところにある天から降り注いで来たかのように、後から後から降ってくる無限とも見える雨粒が地面に落ちると、最初はたった一滴の水滴から始まり、時間とともに、少し窪みになっているところに集まり、「水たまり」となっていきます。その「水たまり」が、雨がやんだ後の子供たちの遊び場のひとつとなります。
また、家の前の柿の木の葉っぱに当たった雨は、天から直接地表に落ちるのでは無く、うまく柿の葉がトランポリンのように雨粒を跳ねて、地表に落としていく、そして、葉っぱは見ている人を和ませるかのように、程よい揺らぎを起こしながら振動を繰り返すのです。
雨粒が水溜りに落ちるとき、「ピチャ」という音がします。水溜りがだんだんと大きくなっていくにつれ、その雨音は、「ピチャ」から「ボチャ」と音の高さが下がっていきます。その音の高さからある程度の水溜りの大きさも判断がついたものでした。夏などは、その水溜りの中に、突然青蛙が現れたりして、「ゲゴ」「ゲゴ」と泣き、一層の風情を醸し出していました。
このような情感溢れる風景は、なかなか都会の生活では見れなくなっているのではないでしょうか? 土の代わりに、コンクリートとなってしまった地表では、いくら雨が降り注いでも、一向に水溜りも出来ず、感動のないものとなってしまったからです。
生活に自然を取り戻す
昔懐かしい風景を思い出してみると、自然に囲まれた生活の中で、仕事に励み、勉学に励んでこそ、より人間性のある生活が送れるのではないでしょうか?自然の中にいるだけで、自然は人間の脳から、安定したアルファ波を発生させてくれます。自立訓練法とか暗示的な手法もありますが、自然な音はより自然な方法で、アルファ波を人間の脳から発生させてくれます。
人間は、自然という人間にやさしい「生」のものを必要としています。ゲームに代表される人工的に創られたデジタルの音からは、人間という生身の人間性を育ててくれることはありません。最近の17歳の若者の犯罪、それは、自然に育まれた生活からの隔離にもひとつの原因があります。
創造の源となる自然音
東洋人として最初のノーベル賞受賞者となったインドの詩聖タゴールは、海も含めて大自然の素晴らしさを詩に詠っています。タゴールでなくても、海を見れば誰でもちょっとした詩人になってしまいます。
海の波は、大自然からの“遊ぼう遊ぼう”という手招き、砂浜はどんな大きな絵でも描けるだだっ広いキャンパス。砂は、何でも形創ることが出来る粘土のよう。手で、手触りの感性を磨き、足の裏で、砂の痛さを知る。足裏からの刺激で内臓にも刺激を受け、元気一杯となる。砂で遊んだ跡は、子供に何遍でも好きに描いて欲しいと言っているかのように、時がくれば、潮が満ちてきて、波が綺麗に砂地を白紙の画用紙のように元に戻してくれる。海は創造に満ちた自然の遊び場。そこから、新しい生命が生まれてくる--。
また、海の波の音は格別で、まるでサラウンドシステムのようです。想像してみて下さい。目の前に広がる砂浜、青い海、水平線、そのかなたから波がバサーバサーと打ち寄せて来ます。それは確かにパノラマ映像とサラウンドシステムです。
海では波の音と合わせ、気持ち良く飛んでいる海鳥の鳴き声と清々しく吹いている風の音が、見事に調和して体中に聴こえて来ます。その音が心を高揚させ、「心の中で、新しいロゴスを生み出し、創造の源となる」(タゴール)のです。
海は子供達にとって、創造に満ちた自然の遊び場です。海がどれほど子供達が喜んで遊べるように創られているかを知ると、天地創造の喜びに触れるような気がします。そして、休むことなく絶えず打ち寄せる波の音が、その海の遊び場を作っている、重要なベースの音となっていることが分かります。
あの海に、ザザーッという波の音が無いことを想像してみると、どれほど寂しい遊び場となってしまうか知れません。
高知の桂浜の海岸を歩くと太平洋から押し寄せてくる激しい波の音が坂本竜馬という人物を創り上げたのかと感じることが出来ます。まさに、自然の音が、人物を創り上げたという気が致します。
耳に聞こえない音の重要性がわかってきた
また、近年、耳に聞こえない音が、人間にとって、重要なことが分かってきました。「実はその聞こえない部分こそが、音楽の臨場感、楽器の音色や空気感、演奏している場の雰囲気などを表現していることがわかったのです。人の耳に聞こえないところが再生できることによって、人間は、「感動」と「安らぎ」を覚えるのです。人間が森林で生活していたころから聞こえていた鳥の歌声、小川の流れ、海の浪打の音は、人間の耳には聞こえない100khz近い音が出て、人間の耳からだけではなく、人間の頬、額、身体の皮膚から、音を聞くことによって、爽快な気分となり、「感動」と「安らぎ」を覚えてきたのでした。
嫌なことがあっても、大自然の音の中で、洗い流されて来たのでした。自然界と隔離された現在の都会の生活では、嫌なときでも爽快な気分にさせてくれる自然界の音が不足している状態です。人間は再度自然界の音を取り戻す時が来ています。
現在のCDは、実は、自然界で発生している生の音を再現できていません。理論的にいいますと現行のCDフォーマットは、16bitリニアPCM方式でデジタル記録されています。これは、17年前としては最先端の技術を駆使して規格化されたものですが、この方式ではどうしても再生周波数帯域とダイナミックレンジが限られてしまいます。どういうことかというと、PCM方式はアナログからデジタルへの変換の過程で、「人間がほぼ聞きとれるであろう」と思われる範囲を切り出して記録しているのです。
それを解決するために、CDが切り捨ててしまった"人間の耳に聞こえない部分"までも再現しようとして、スーパーオーディオCDが、製品として出始めています。しかし、今のところ、アナログのレコード盤であるLPには、それでも、敵わないようです。人間は、より生の音に感動し安らぎを得られるように、自然の中で、創られたものだということだと思います。
音と教育
つまり、産業が高度化するにつれて、人間は、目に見えない、耳に聞こえないものは、無いものとして、重要なものを失ってきているというのです。音の世界だと、100Khz出ている音を、耳に聞こえないからといって、20khzで音を制限してしまいました。同様に、このことを教育に当てはめると偏差値がある以下の子供は、目に見えない多くの他の才能を持っているであろう子供も、偏差値だけで、判断してしまう教育が長年続いて来てしまいました。音だけを良く知るだけでも、回りのいろいろなことが解決していきます。
自然音の持つ神秘的な力
自然を観ずれば観ずるほど、無限の可能性を感じます。デジ速を始める前は、海の波の形はみな同じだと思っておりましたが、浜辺に座って、波を見ていると、一度も同じ形の波がないのですね。良く考えると指紋でさえ、60億人類違うのですから、指紋よりはるかに大きな波が同じなんてことはないかと思うのですが、今までは、海の波全部同じ形としか思っておりませんでした。
海の音もそうです。全部海の音も同じだと思っていたのですが、全部違うのですね。岩にぶつかる波の音、砂浜に打ち寄せる波の音、全部そこの情景を含んだ波の音になっています。自然界は、無限です。自然に触れれば触れるほど、無限の感性を引き継ぐ気が致します。
デジ速では、自然界の持つ価値として、3つを上げています。
1)永遠性 - 絶えず打ち寄せる波、絶えず鳴く鳥の声、小川のせせらぎ等
2)調和性 - お互いの音が重なっても、調和して聴こえる
3)生命力 - 見ているだけで、聞いているだけで、活力を与えてくれる
自然と触れるとこの3つの自然のパワーを、自然から頂けて、自分が、永遠性、調和性、生命力を持てるのだと思います。
自然音が生命のリズムを創る
自然音は、人間の活動に、”永遠性と調和性と生命力”のエネルギーを注ぎ込んでくれます。自然音が、一定のリズムを提供してくれ、音のエネルギーで活動の活力を与えてくれます。例えば、部屋に水槽をおくと、水槽の水の流れは小さな流れかも知れませんが、これでも水の生の音なので、自然音のCDを聴くよりも、小さな小川が部屋の中に流れているという感じで、とても、気持が良くなります。
人間の体調が悪くなるのは、自然界のリズムと生活がずれていることによるものも多いと思います。自然のリズムの中で、日々生活出来るようになるのが、元気で、快活に動ける基本になると思います。自然の音が、部屋に行き渡ると、人間の心臓の音のように、ひとつの身体のリズムを作ってくれます。
谷間に流れる水は、谷間がひとつの大きなスピーカのようになり、尾根を歩くものに小川の豊かな音を聴かせてくれます。そして、その音を、谷間の樹木も、植物も、鳥達も、昆虫もすべて聞きながら、すくすくと育って来たのだと思います。それに似たものが、日々の生活の中で、感じる事が出来れば、日々の生活に多くの恵みを受けることが出来ます。
生活に自然環境を取り戻す
生の自然音を含む自然を、自分の日常の生活ライフの中に取り入れることが、まず、脳力開発の基本となるのです。その効果は、想像以上のものがあります。まずは、出来るだけ生の音に近い音の出るオーディオ装置を設置する。次には、日々成長を目で見て楽しむことのできるミニ自然界(海水魚、淡水魚、観葉植物、家庭内菜園など)を、構築することが、生涯に渡る継続的な脳力開発を保証するライフスタイルの土台となります。最後の章で、もうすこし詳しく説明いたします。
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第1章 音が人の心を育てる ← 第2章 → 第3章 脳力開発における3大博士 |
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