1955年3月13日 |
愛媛県大洲市平野町平地会心350番地に、(父)長、(母)浪子のもとに、兄ひとり姉5人の7人兄弟の末っ子と して生まれる。、大洲には中江藤樹が17年間住んでいました。町の中央には冨士山があり、肱川が流れ、小京都と言われいます。 |
1975年3月30日
(20歳)
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国立新居浜工業高等専門学校 電気工学科卒業
不景気な年で 、入社日が一ヶ月伸びる。その一ヶ月の間に、渡辺剛彰先生の記憶術の本と出会い、記憶には記憶術という方法があったことを知り、無駄な勉強方法をして来たことに大きなショックを受ける。 |
1975年5月1日 |
日本電気株式会社入社 産業オートメーション事業部メディカルシステム技術部配属
フランスへ渡航(CGRとの提携で)
*初めての海外渡航で語学学習に関する貴重な経験をする。 |
1981年1月31日
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日本電気株式会社退社 (70ヶ月在籍) |
1983年7月12日
(28歳)
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ベンチャー会社 入社 研究開発部に従事
世界最先端の開発場所であるシリコンバレーにも、二度ほど訪問する機会を得る。
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1988年7月12日
(33歳)
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大きな体験 *文字認識ソフトを開発する開発の限界状況の中で
、人間にとっては、創造性がもっとも大切であり、だれにも、無限の能力が潜在意識の中に植え付けられていることを体験する。 |
1994年7月31日
(39歳)
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ベンチャー会社 退社 (4000日在籍) |
1年目出発
1994年8月1日
(39歳)
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グ
ローバルファミリ情報ネット設立
1992年に始まったインターネット利用の商用化を起点にして、1993年から本格的なグローバルネットワークの時代が始まる。中央から見れば、まだまだ
遅れている愛媛(四国)の地において、中央と同じようなネットワークの恩恵を受けられるようにするために、ネットワークとマルチメディアコンテンツを基軸
とした事業展開を行い、郷土に貢献しようという動機で設立した。四国で初めてインターネットの接続環境を提供した会社となった。(NHK、南海放送放映,
愛媛新聞掲載) |
1年目
1994年12月1日 |
有限会社グローバルファミリ情報ネット となる。 |
2年目
1995年4月1日
(40歳)
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四国初となるインターネット接続サービスを松山から開始する。 |
2年目
1995年8月1日
(40歳) |
ホームページ事業を開始する。 |
2年目
1995年11月22日 |
四国で地元企業による初のプロバイダである
株式会社四国インターネットの設立を支援する。四国で23のアクセスポイントを提供する。 |
2年目
1995年12月1日 |
株式会社グローバルファミリ情報ネット となる。 |
4年目
1997年8月1日 |
Nigeria のプロバイダ.の設立を支援するため、アフリカ渡航。初めてのアフリカ渡航で、貴重な体験となる。 |
6年目
1999年12月1日
(44歳)
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教育サービス専門会社 グローバルサクセス株式会社を設立する。天職である教育分野に専念するため、今まで従事していた他の会社のすべての取締役を辞任する。 |
7年目
2000年8月1日
(45歳)
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デジタル速音聴システム『脳力全開』のV1.0を開発。 20歳に出会った記憶術と33歳に体験した創造性とを統合するシステムを開発する。 |
7年目
2000年12月1日 |
デジタル速音聴システム『脳力全開』のV2.0を開発。 |
8年目
2001年4月1日
(46歳)
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デジタル速音聴システム『脳力全開』のV2.0の本格販売開始
45年間の人生で追及してきた脳力開発の世界を、120日間の脳力全開講座、理論編、基礎編、応用編としてまとめ、デジタル速音聴の成功哲学コンテンツとして、セットにして本格的な販売を開始する。 |
8年目出発
2001年8月1日
(46歳) |
営業に強い代理店様の御支援を得て、営業の拡がりが始まる。 |
10年目
2003年12月1日
(48歳)
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20歳に記憶術に出会って悟った記憶の夢を実現した
『絶対記憶』V1.0を開発 |
11年目
2004年4月1日
(49歳)
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ひとり住まいの母を看るために、本社を松山市から故郷である大洲市に移転 |
12年目
2005年4月1日
(50歳)
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大洲デジ速サロンオープン |
13年目
2006年5月 |
国内 絶対記憶(高速記憶支援技術)の特許取得 |
14年目
2007年11月 |
米国 絶対記憶(高速記憶支援技術)の特許取得 |
15年目
2008年2月
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生命サウンドプレーヤのモニター版リリース
2002年に、“音”を鍵とする脳力開発では、如何に、自然音、良い音楽、音声コンテンツが、日々の生活する空間の中に、豊かな音で流れるかによると天啓
をうける。それから、6年間の開発の歳月を経て、生命サウンドプレーヤを開発し、デジ速ユーザを対象にモニターを募り、初のリリースを行った。 |
15年目出発
2008年4月1日
(53歳)
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脳力全開教育事業開始から丸7年が終わり、次の7年のスタート
脳力全開教育事業を開始して丸7年が終わり、4月1日から新しい次の7年がスタートする。 |
2009年3月
(54歳)
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絶対記憶の6000単語を日本語、英語、韓国語、中国語の4か国語で実現 |
2012年8月1日
(57歳)
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脳力全開専門学校を開校し、講座を配信し始める
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2013年12月1日 |
12年の経験を元に(㈱)日本フローラルアート社と脳力全開ライトを開発
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2014年08月1日
(59歳)
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13年の経験を土台に、二代目の脳力全開Ⅱを出荷
2001年4月1日の初出荷からちょうど、160か月、40日の誕生数が120回繰り返し、日数で4800日という意味にある成長期間でした。
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2014年09月17日
(59歳)
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13年と4カ月と40日と7日目の9月17日にキーボードの演奏の練習をした後、脳に今まで感じたことのない衝撃が走りました。分析して見ると、脳の音と絵と字の部位の太い脳神経で繋がったという感覚でした。これが私が追い求めていた「脳力全開のステージ」であり、そのステージ上に這い上がることが出来た感覚を味わった。 |
2015年01月15日
(59歳)
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愛(EQ)と能力(IQ)を全開する脳力全開方法を、9月17日の出来事を通して分かり易い言葉を使った『音絵字法』と命名する。その商標が特許庁で認められ商標登録される。 |
22年目出発
2015年8月1日
(60歳) |
『音絵字法』を勉強に的を絞った『【伝承】音絵字勉強法』』の教本が完成する。 |
2015年10月30日
(60歳) |
『音絵字法』に基づいた、「言葉記憶カード」の意匠が特許庁で認められた。 |
2016年08月01日
(61歳) |
『音絵字法』のノウハウが更に確立したので、『音絵字法』を社会広める段階が来たと判断し、積極的に『音絵字法』を広め始める。*ホームページ事業(現在は行っていない)を始めた時から、21年後のこととなる。21年間掛かったが、オリジナルなものを開発出来ている事に対して、感慨深く感じる。 |